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アニウォッチ!

アニメの感想とかいろいろを気ままに綴るブログ

【けものフレンズ】2355的な演出

けものフレンズの劇中で挿入されている動物園の飼育員による動物解説コーナー的なあれは、NHKの2355的な演出だなーと思った。

 

そういえば、けものフレンズNHKのニュース番組でちょっとだけ話題になっていた。

【けものフレンズ】気になること

有名人が60回もOP曲を聴いていたり、ネット界隈ではフレンズ化の波が押し寄せている。

 

1話目は正直継続しないでいいかなと思っていたが、たまたま2話を見てしまい、面白いかも?と感じて、3話目でわーい、たーのしい!という状態になった。

 

ここまで、けものフレンズを見てきてずっと気になっていることだが、フレンズ達の耳はどうなっているのかということ。漫画版とかで補完されているのかはわからないが、たとえばサーバルの耳は人間の耳とサーバルキャットの耳の両方がある。他のフレンズも同様にそのようなデザインとなっている。

 

ただし、耳の認識はあるものの、人間の耳については耳と思っていないようだった。明らかに謎な部分だと思うが、指摘するのも野暮なぐらい適当な設定なのだろうか。う~ん、難しいことはわからないな~。

 

 

雑記(メモ)

おたく神経サナトリウム(著:斎藤環)より

エイリアン9における「共生」への言及
人間とエイリアンが共生することによって引き起こされる未知への不安感などに
登場人物たちがどう向き合っているのかを見ることが出来る。
 
戦闘美少女モノの典型
敵はしばしば大人の女性だった
少女の「変身」は「成熟」の隠喩だった。
エイリアン9でもそうした図式は部分的にあてはまる。
=思春期の少女たちのとまどいを描いている。
=エイリアンとの共生は「成熟」を意味している。
 
「くみ」は断念とともに成熟を受け入れ、「かすみ」は孤独を逃れるために成熟を楽しもうとする。そして「ゆり」は、いつまでも成熟を恐れ、拒否し続ける。
 
共生がいいことであるかどうかという迷いが物語に深みを与えている
アルジュナもののけ姫の作品性との対比 もののけ姫は、宮崎駿が結論が出せない迷いをそのまま物語の原動力にしてしまったところにダイナミックさを与えていたのではないか。
 
エイリアン9でも共生に対する答えは出していない。
 
ガンパレ特異点:設定と物語がそんなに関係ないところ。
ある作家の言葉を借りれば、物語=設定ってことになるんだが、その点からみれば、このゲームは完全に反則だ。
 
だって、世界観や設定を知らなくても楽しめるんだもの。
実際、設定やゲームバランス、シナリオなんかは評判が良くない。
 
なぜ地方の中堅メーカーが制作したゲームが、これほどまでに大ヒットしたのか。
 
1、ガンパレのウリは公式によると、とにかく自由度が高いこと。
 これまでのRPGと異なり(すでに純粋なRPGではないが)、シナリオ分岐方式ならぬキャラクターの「AI化」がそれを可能にしたという。
 
・AI化について
NPCは、プレイヤーの選択する行動とは独立に、ある程度自分で考えたり行動したりすることができる。
もちろん、プレイヤーの行動に影響は受けるが。比較的自立性が高いということ。
 
育成ゲーム的な要素もあり、授業に出たりトレーニングしたりして、能力を高める。
恋愛に発展する展開になることもあるが、それはAI化のメリットを存分に活かすことができているといえる。
 
・ファン目線ではどのようにガンパレをみているか
ファンのBBSを見ていても、ゲームそのものの設定がどうとかよりは、「今日は●●が言い寄ってきた」などなど、
主人公(プレイヤー)とNPCの関係性を楽しんでいるようだ。
 
ゲームとしてはそこそこだけど、AI機能を持ったキャラとのやり取りが、とにかく面白かったんだろう。
 
このようなゲーム性があるためか、同人文化への親和性も高い。
オンリーイベントなどが盛んにおこなわれているらしい。
 
このゲームは、ある意味SS自動生成ソフトみたいなゲームとも思える。
 
キャラ文化の歴史を考えるうえで、重要な作品ではないかと考えられる
小説におけるキャラが立ってくると、独りでに動き出し、物語も動き出すような話に関連付けて、この仕組みはリアルなキャラクターであれば物語を勝手に動かしてくれると考えている。
この前提のうえでガンパレのAI化されたキャラというのは、そういった仕組みを応用したのかもしれない。(キャラに自律性を与えて、物語を生成する試み)と言及している。
 
キャラのリアリティーはどのように生ずるのか?>下記の2点のようなアプローチがあるだろう
1、図像:「ねこ耳」、「メイド服」、「メガネ」
2、スペック:キャラの性格(おそらくツンデレなどを指しているはず:著者は触れていない)
アニメやゲームキャラクターは、大体このいずれかの方法を探ってきたし、「ガンパレ」も基本的にはそうだ。
 
ガンパレに付加されているもう一つの次元として、AIによる予測不可能で自律的な動きがリアリティーを増幅させている。
 
人工知能についてアラン・チューリングの思考実験に言及
ゲームはある意味でチューリング・テストの思想を引き継いでいるところがある。
画面上に映し出されるのは、とっくにリアリティなど箒したようなアニメ絵と、紋切り型のテキストだけ。
たったそれだけの情報を操作して、どんな風にリアルな「人間」を描き出すか。
この種のRPGないし育成タイプのゲームは、この課題をクリアする宿命を負わされている
 
人間的なAIは現代のハードスペックでは追いついていないが、オタク文化にそれを補ってあまりある資産が蓄積されている。

【小林さんちのメイドラゴン】どこかで見たことあるようなOP

小林さんちのメイドラゴン2話まで視聴済みだが、ずっとOPが気になって仕方がない。

 

今敏監督の妄想代理人のOPと似た部分があることはよく言われているが、ほかにも波打ち際のむろみさんと似ているなーと思ったり。

 

小林さんちのメイドラゴン

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▼波打ち際のむろみさん

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 それと、OP終盤の金太郎アメの箇所も何かのアニメでみたような気がするが思い出せない。ただの気のせいということもあり得るのでなんともだが、このどこかで見たことあるような感じが気になって仕方がない。

【正宗くんのリベンジ】それなんてエロゲ?

特筆すべきことは今のところ何もない。(何故か2話まで見てしまったので3話までみると思う)

 

強いて言えば、エロのないエロゲーだなということぐらいだろうか。

 

主人公と視聴者だけが共有できる謎のパンモロ現象(つよきすのよっぴー的なあれ)と最初から周囲の好感度が高そうな主人公。ヒロインはこれから攻略する気満々……それなんてエロゲ?なのだ。

 

リベンジとタイトルにあるとおり、リベンジ要素をもっと出してほしいものだが、3話までみてもその要素がなさそうなら恐らく継続してみることはないだろう。

 

エロのないエロゲーを見るぐらいなら、エロゲーやった方がいいに決まっている。

【響け!ユーフォニアム】鳥獣戯画よりもフェルメールへの意識

2016年秋アニメ「響け!ユーフォニアム2」のテレビ放送が終わって1か月ほどになるだろうか。自分はニコニコ生放送の枠で最終話を視聴し、京アニとともに2017年を迎えたことになる。

 

さて、先日購入したFebri Vol.39で響け!ユーフォニアムの演出について石原立也監督が興味深いコメントをしていたので、素人目線ながら見ていくことにする。

 

鳥獣戯画の頃からそうなんですけど、日本人は絵を描くときにアウトラインを重要視してきた。日本のアニメーションもそう発達してきたように思うんですが、海外だと、どちらかと言うと光と影で表現するんです。だから、僕がこの作品で意識したことは、暗い画面の中での光を表現することですね。ややもすれば若干画面が暗くなっちゃうかもしれないんですけど。美術さんにも「フェルメールみたいな絵になればいいな」という話をしたことがあります。

 

 石原監督は第1期での具体例を交えてコメントしていたので、響け!ユーフォニアム2に限らずシリーズ全体を通してのコメントとしてみることにする。そこで注目したいのはアウトラインを重視した表現から離れて、敢えて海外的な光と影による表現を意図している点だ。

 

とはいえ、無学で恥ずかしいばかりだが、自分は美術に詳しくはないのでアウトラインを重視してきたことに対して、そもそもアウトラインをどのような意味に捉えればいいのかわからなかった。

美術にくわしい方などいればコメントをいただけると有り難いです。

 

単純にアウトラインという単語を辞書で引いても「輪郭」という言葉が出てくるが、では「輪郭」を重視して描くとはどういうことなのか。実際に絵を描いていればピンとくるのかもしれないが、絵をまったく描かない自分には「?」なのだ。感性の限界かもしれない……。

 

そうです。僕の気持ちとしては、なるべくアウトラインを描きたくないと思っているんです。「隙あらば逆光」という感じで、逆光の画を作りたい。カッコいいですしね(笑)。

 

 響け!ユーフォニアムは、アニメを見ているのにどこか絵画を鑑賞しているような感覚に陥る瞬間がわりとあったように思う。それは、光と影の演出を意図したことによって、その副産物として生じた感覚なのかもしれない。

 

一方で光と影の演出だけではなく、見せ方そのものも絵画のようにみせる意図が含まれていたのかもしれないとも思った。どの場面だったか忘れてしまったが、キャラの立ち位置なども含めてフェルメールの絵画を想起させるような場面があったように思う。自分が監督の演出意図に一瞬でも影響を受けていたのかと思うと驚くばかりだ。

 

そして、第1期で久美子が橋を走りながら悔しい気持ちを爆発させている場面は、光と影の絵画手法をアニメーションさせながら見せるという、絵画的な見せ方からの新しい提案だったのではないだろうかと妄想してしまう。

小林さんちのメイドラゴン

響け!ユーフォニアムとはかけ離れたOPになっている小林さんちのメイドラゴンニコニコ動画のコメントだけではなく、2chまとめ等でも京アニらしくないという言葉が飛んでいたのが印象的だった。

 

京都アニメーションらしさとはなんなのだろうか―。

京都アニメーションらしさとはどこからきたのだろうか―。

 

少なくとも、響け!ユーフォニアム京アニらしいというのが見え隠れしているように感じる。くわしく検証してみると面白いかもしれない。

 

肝心の自分はどう思ったかというと、京アニらしくないとは特に思わなかった。ちょうど10年前にらきすたが放送されていたが、こちらもユーフォニアムの写実描写とは明らかにかけ離れた描写だったので、メイドラゴンについても特に違和感をもつことはなかった。

 

京アニらしくないと思った要因は、世代差なのかもしれない。個人的に京アニで世代差を感じることになるとは想像だにしていなかったが、らきすたが既に10年前の作品である現実。10年ひと昔とはよくいったものだな~。